鈍化との戦い。
本当にその通りだと思う。
生きて行くと、どんどん鈍化していく。
鈍化のすえに、何があるかもわからないけれど。

帰路、どこかわからない路地裏の、
どこかわからないアパートの、
どこかわからない窓辺で光るハロウィーンのオレンジ色の点滅をボーっと眺めながら、

あのときの自分と、
これからの自分との狭間で、
それは、人間としての自分と
もしかしたら女としての自分と、と言い換えられるかもしれないけれど、
ああ、こんなに鈍化した文章、鈍化した色しかとらえられなくて、
そんな自分がとても鈍くうつって、とても心地よいようで、
とても嫌い。

表現したいことをちゃんと表現することすら面倒になって、
なんとなくこうやってればいいだろう、ってことをやっていて、
これも、鈍化。

腹が立って、
でもどうしようもなく自分で、
もう28歳で、
でもどうしようもなく頭は働くし、
でもどうしようもなく心も働くし、
どうしようどうしよう。

母親になっていく友人と、
仕事人になっていく友人と、
でも同じ28歳。
でも、わたしはその狭間で、何もない28歳。

両方を捨てる、
両方を得る、
それすら鈍化させた28歳。

今夜は、会社時代の友人と飲んでいましたが、
帰宅して、今もわたしはがぶがぶ飲みます。

もう、どうにでもなれ、って思う。
それが激しい衝動じゃなく、
たとえばKEIKOの脳内に起こった衝動のようなものであれ、
水面にメダカが顔を出す微々たる衝動であれ。

何か悲しいわけでもなく。
何か嬉しいわけでもなく。

ただ、生きていくことは鈍化どの戦いなのかと思うと、
反吐が出てしまう次第でございます。

しばらくの間、平日は夫が長期出張で留守にしています。
こうなると自分も、文章を書くしかない。
SNSだ、写真だ、
そんなもの、まるで嘘っぱちなことなの。私にとって。

写真なんて好きじゃない。
SNSで書いたり読んだりする文章も嘘っぱち。

ほんとに思ってること、表現したいこと、
そんなことをしたためる時間があるけれど、
それすら鈍化して、中国語の勉強に時間を費やしたりする。

鈍化の戦いにそなえ、
明日のために本日も祝杯を。

ワインをあけました。

もっと、生きて行こうよ、って、
顔を真っ赤にして叫んでいるのだけれど、
いたって冷静に、ワインをあけるのでしょう。